マリアテレジアとオーストリア継承戦争

原作 (2007/03/18 ~ 2007/05/17): キタユメ (archive.is)


■マリア・テレジアとオーストリア継承戦争■


1740年、マリアテレジアがオーストリア大公・ハンガリー女王の地位につきました。
しかしハプスブルク初の女性大公っていうことで反発も大きく
そこにケチをつけてきたのが同じ神聖ローマ内のあの国だったのでした。
 

神聖ローマ帝国は一つの国としてみれば大きいものの
いわば小国が集まって出来たグループみたいなもので
オーストリアが一応まとめてるだけという状態でした。

しかしオーストリアに力がなくなってくると
神聖ローマ内のプロイセンが
「お前ンとこの新しい上司女だから土地ください」
と一方的に攻め込んできたのです。

 
 
 

■音楽>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>プロイセン■


 
 
 
 

■そして何とか出陣しました。■

オーストリア継承戦争の簡単なVS関係
一言で言うと

オーストリアをつぶすべくプロイセン・フランスがタッグを組んで
悪友スペインを道連れにし、同じく神聖ローマ国内のザクセン・バイエルンが仲間入り
そんなこんなで「オーストリアぶっ潰し隊」はかなりの大所帯になりました。

しかしそんな大きな敵を前にオーストリアを直接支援したのはイギリスだけ。
フランスの敵はイギリスの味方というわけです。
 

しかしこのカオスな構図がもっとカオスになるのはこれからです。

■のんびりいくよ■

□スペインVSオーストリア□


オーストリア継承戦争はこんな感じ。
ほとんどオーストリア苛めみたいな状態です。
そんなフランス、プロイセンに挟まれて苦戦する中
南の方から回りこんだスペインに
イタリア(ミラノ)を誘拐されてしまいました。


 


オーストリア継承戦争での対スペイン戦
最初はミラノ占領するもののイタリア(サルデーニャ)が
オーストリア側についたためにスペインの
北イタリア奪還作戦は失敗に終りました。

まだまだ借金のこってるぞ。がんばれスペイン。

■第一戦、あっさり負けました■

戦況が不利になると頼り綱だった
イギリスがあっさり中立に回ってしまいました。
 
 

■漁夫の利フランス■


 




昔からどっかのだれかに負けた相手を
美味しく頂くのがフランス流

イギリス、オランダ、ポルトガルにふるぼっこにされた後に
スペインに戦いを挑んで国境付近の土地をぶん取ったり、
オーストリアがプロイセンに負けたところを見計らって
のこのこと出て行き「プラハは俺の嫁」宣言したり

(プラハを一時占領しますが、ぶちきれたマリアテレジアさんの
 怒涛の猛反撃にあい一年後にご飯が切れて帰宅)

自分の嫁さんの土地は俺の土地!とスペイン領に押しかけたり
中国が弱いってわかった瞬間イギリスについて中国つついたり
自分負けてるのに天文学的な賠償金要求したり
昔からなんかいやらしい攻め方の多いフランス。


でも相手が同じ事すると
すっごく怒るぞ!

 
 


その歴代フランス軍は真っ向から戦うとなると大した実力はなく
戦うってわかってるのに準備不十分で鉄道が使えないので
皆で楽しく徒歩で山越えするハメになって戦う前から疲労したり
少人数のイギリス人に何万人ものフランス兵が負けて1万人の捕虜を出したり、たった2世紀前の戦いで

落とし穴に引っかかって負けたりしています。


そんなフランス、クリミア戦争のときは
わざと昼飯の時間ねらって来襲。
ロシアを撃退しています。

勝つ時はだいたいこんな攻め方なフランスって…。
 
 
 
 

■オーストリア専用最強の助っ人■

実はマリアテレジアわざわざハンガリーまでおもむき
ハンガリー議会で息子さん抱えて涙ながらに
「オーストリアを救ってください!貴方方にかかっているのです!」
と毎日のように通いつめてこの援軍を呼んだといいます。
さすが肝っ玉母ちゃんです。

■このときのハンガリー強すぎ■


このあと七年戦争に続くよ!