原作 (2007/08/16): キタユメ (archive.is)
■オーストリア継承戦争まとめ■
■苦難の始まり■
昔々(18世紀)皇帝カール6世と
エリーザベド・クリスティーネという
おしどり夫婦がいました。
しかし二人は子宝に恵まれず
長年悩んでいました。
そこに生まれたのがマリアテレジアでした。
そしてクリスティーネはその後次女を産むと
体調を崩し二度と子宝を授かることはありませんでした。
そこで王様はなんとかわが娘を跡継ぎにしようと考えました。
それがオーストリアとハプスブルク家の
長い苦難の始まりだったのです…。
■マリアテレジアなんですけど女王だと認めてもらえません■
この頃のヨーロッパでは王家の
継承権があるのは男だけというのが掟でした。
そこでカール6世は周りの国々に
色々差し出したり譲歩したりして
フランスや神聖ローマ内諸国(プロイセン、バイエルン、ザクセンなど)に
マリアテレジアが次代の王になることを認めさせました。
(このときオーストリアは色々ぶんどられたようで…)
しかしカール6世が狩りの最中に体調を崩し急死、
マリアテレジアはたった23歳で女王として
一国と国民の運命を背負うことになったのです。
まあそれを見逃さないのが周りのやつらです。
たった23歳の政治のいろはを何も知らない女王。
そして弱体化の進むオーストリア。
この国が列強の国々にとって
格好のデザートになった瞬間でした。
あんなに色々もらって女王を
認めたふりをしていた国々は
カール6世の死去とともにあっという間に
手のひらを返してきたのです。
プロイセンより「女王は認めません。シュレジェンは俺のもの」
バイエルンより「女王は認めません。王位継承権は俺のもの」
ザクセン「女王は認めません。モラヴィアは俺のもの」
フランスより「女王は認めません。バイエルンに同意します」
スペインより「女王ええなぁ。でも悲しいことに
フランスに同意することになってしまいました」
この適当な理由を見て分かるとおり
この弱々しくなったオーストリアに目がくらんだ列強は
とにかく攻め込む理由さえあればなんでもよかった様子。
まさに四面楚歌状態に陥るオーストリア。
しかしそんな絶望的な状態の中マリアテレジアは
国を守るため戦うことを選びます。
でもオーストリア議員はヘタレだったので
「あげちゃいなよー」といいました。
マリアテレジアは
「だめだこいつ…早く何とかしないと」と思いました。
正直こんな小娘に何ができると
オーストリアの議員たちも彼女を馬鹿にしていたのです。
■オーストリア惨敗■
そしてテレジア父の死去6ヶ月目にして
いきなりプロイセンはシュレジェンに攻め込み
占領を始めました。
その後の展開は知ってのとおり
寄せ集めの軍隊しかないオーストリアと
今まで訓練に訓練を重ねてのし上がってきたプロイセン
差は歴然でした。
なによりプロイセンの上司フリードリヒ2世は
戦術や作戦の天才だったので
オーストリアはだいぶ苦戦することになった様子。
あっさりフルボッコ。
一旦プロイセンとオーストリアはここで
シュレジェンを上げる代わりに休戦の条約を結ぶ
…のですが
フランスがまたニヤニヤしながらバイエルンと攻めてきて
それを見たプロイセンが「お前らばっかりずるい!」と
条約無視して再度侵入してきます。
これを集団リンチといいます。
そこでマリアテレジアがとった行動は
ハンガリーへの応援要請でした。
当時ハンガリーではオーストリア支配に
対する不満はまだ強く残っており
そんな中に息子とハンガリーに乗り込むのは
とても無謀すぎる。
それでも連日喪服でハンガリー議会で演説
涙ながらにオーストリアの危機を伝え
ハンガリー人の心を動かし
彼らは女王のために命をかけて
戦うことを約束したといいます。
この時プロイセン上司フリードリヒ2世は
3次元の女性の行動力って怖いと思いました。
ちなみにこの時駆けつけた
ハンガリー軍は恐ろしく強かったらしい。
オーストリア軍より有能で
シュレジェンを奪ってなおも領地をほしがって
攻め込んできた連合軍を追い返したりしています。
敵にならなくてよかったですね。
ボロボロになり続けながらも戦い続ける両者
それをみたロシア君の血がうずき始め
「参戦したい」と言い出しました。
こいつが参加したらオーストリアを足がかりに
こっちまでくるかもしれないじゃん…と怯えた
プロイセンやフランスは
1748年
さっさとアーヘン条約を結びました。
■復讐のマリアテレジア■
結局シュレジェン以外の領地はほとんど守り
そして無事王冠も戻ってきましたが
シュレジェンは戻ってきませんでした。
このままではいけないと思ったマリアテレジアは
さっそくオーストリア強化計画を始めます。
ヘタレ議員をかたっぱしからリストラ
かわりに身分関係なく有能な人材をスカウト、起用したり
軍隊の養成所を作ったり、医療施設を発展させたり
オーストリアを中から鍛えなおしていったようです。
彼女が目指すのは「シュレジェン奪還」。
こうして七年戦争の幕があけたのでした。